『彫刻1』重版出来を記念して、巻頭言を公開いたします。

『彫刻1』巻頭言 小田原のどか「近代を彫刻/超克する」

 昨年、2017年は、歴史的人物の威光を顕彰した彫像や、モニュメントをめぐる衝突がしきりに現れ出た一年だった。とくに印象に残った出来事を紹介したい。

 中国政府が人権活動家・劉暁波(リウ・シャオポー)の墓をつくることを許さず、海への散骨を強いたのは、劉の墓が中国における民主化運動のシンボルや聖地となるのを恐れてのことだったといわれる。これを受けて彼の支持者たちは「空の椅子」を劉の死を悼むシンボルに見立てた。世界中から海辺に置かれた椅子の写真がSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)に投稿され、劉の冥福が祈られた。

 一方アメリカ・バージニア州シャーロッツビルでは、南部連合の威光を讃える銅像、ロバート・リー像とストーンウォール・ジャクソン像の撤去を市議会が可決した。これに対し、撤去賛成派と反対派の間で死傷者を伴う大きな衝突が起こった。暴動を引き起こした像は黒い布を被せられ、慰霊のためのモニュメントに転じた。

 像の撤去に反対したある市民は、インタビューでこのように主張していた。

 

「われわれの歴史を奪うな!」

 

 われわれとは誰か。歴史とは何か。そういった思索を誘惑する結晶のようなひと言だ。事実として、アメリカ南部連合の歴史を「われわれの歴史」と考える人びとは、像撤去の危機に瀕し、まさしく中国政府が危惧したように像をシンボルとして集い、激しく抵抗した。彫刻をめぐる衝突は暴動に転じ、死者が出るまでに至った。

 シャーロッツビルにおいて、彫刻とは「歴史」の表象であり、かたどられた人物とその人物が背負う歴史や思想の身代わりでもある。そうであるからこそ、身代わりは幾度も引きずり倒され、打ち壊されてきた。その繰り返しの果てに、人と彫刻の関わりは新たな時代に突入した。それは、彫刻をめぐって人と人が衝突し、死人が出る時代だ。日韓の国民感情を著しく悪化させたといわれる、通称「慰安婦像」(正式名称《平和の少女像》)も同様の存在だ。彫刻が人と人とを分断する。そのような時代にあって、彫刻を考えようとする者にどのような準備ができるのか。いまこそ彫刻を語りたい。本書はそのための「場」である。

 

 かつて「ヨーロッパの虐殺されたユダヤ人のための追悼碑」コンペの審査員であったジェームス・ヤングは、記念碑論争は「最終的解決」に至るよりも、千年以上論争が続けられればいいと言った。他方この国では、公共空間の女性裸体像とアニメキャラクター像の林立や、爆心地・長崎の彫刻群についてはドイツにおける記念碑論争を参照しいま一度検討されるべき問題を抱えているものの、議論が深まっているとは言い難い状況にある。しかしだからこそ、ここから千年先まで議論が続くことを私は夢見ている。さしあたって50年、数年に一度のペースで、彫刻をめぐる論集を定期的に刊行する。それは千年のはじまりの50年だ。議論の場というだけにとどまらず、彫刻を考えるための様々な手がかりを示し、理論と実践、研究と現場をつなぐことを目指したい。

 

 

 ところで、今年、2018年は、明治150年であり、戦前と戦後が等分される区切りの年でもある。慶応4年に明治と改元(1868年)されてから日米開戦(1941年)まで73年。そして敗戦(1945年)から73年だ。西洋の彫刻を手本とした彫刻教育機関の設立以来、彫刻はつねに時勢と為政者に寄り添ってきたが、ここに示した区切りの折り返しにあたる時期は、彫刻の動向が「空白」であったとされる。本書ではこの空白を焦点化するため、彫刻を語ることはこの国の近現代史に光を当てることに他ならないという姿勢から編まれている。近代化に伴う要請に端を発する、スカルプチャーの訳語としての「彫刻」のはじまりを問い、そしてまた「空白の時代」の彫刻と戦争との関わりを問うこと(★1)。このような問いの立て方をしなければ、彫刻史の空白をうめることはできないだろう。

 空白の時代、それは「近代の超克」という言葉がシンボルとなった時代だ。彫刻には、戦後と呼ばれる今日にあってなお、かつてのシンボルのありようを継承する側面がある。

 

   文明の毒は「平和の」仮面のもとにはびこるのである。

   戦争よりも恐ろしいのは平和である。平和のための戦争とは悪い洒落にすぎない。

   ・・・奴隷の平和よりも王者の戦争を!

               亀井勝一郎「現代精神に関する覚書」『近代の超克』

 

 これは『近代の超克』の巻頭論文の結語だ。ここで強調された「戦争」と「平和」とは表裏一体である。それを証明する出来事が、ある台座の上で彫刻を介して起こる。

 戦時はミリタリズムの本拠であった東京・三宅坂に、皇居に向かって手を振るように立つ《平和の群像》という名の女性裸体像がある。《平和の群像》は、軍閥の威光を顕彰する軍人の銅像が据えられていた台座を再利用し、戦後誕生した「平和的シンボル」だ。詳しくは本書収録の拙論「空の台座」で述べるが、GHQのサジェスチョンを電通が実現するかたちで、戦意昂揚の宣伝装置であった軍服の男性像は平和という名の女性裸体像へと変身した。彫刻の交代は国内の新聞や海外のメディアでも報じられ、軍国主義からの脱皮と文化日本への転換を示す広告となった。

 戦争と平和が彫刻を介し、ひとつの台座の上で反転したのだ。たとえ「平和」という名を冠しても、彫刻を宣伝装置として用いる構造は変わっていない。ここには明らかな戦時との連続性がある。けれどもそれが問われることはなく、裸の女たちは街頭に進出し、他国にはないといわれるほど普及した。この現象は一体何を意味しているのか。

 1876年に工部美術学校彫刻学科が開設されたのは、西洋風建築物の装飾をつくることのできる人材の育成という要請からだった。彫刻を学んだ者たちは近代建築の装飾にとどまらず、帝都に置かれる銅像、すなわち近代的都市の装飾をつくることにも励んだ。つまるところ、この国において彫刻とは「近代」を装飾する技術としてこそ必要とされたと言えないか。そのように考えれば、軍人の銅像と交代するかたちで出現した街頭の女性裸体像もまた、この国の近代に要請された装飾である。彼女たちを「戦後民主主義のレーニン像」と私は呼びたい。

 

 公共空間にあふれる女性裸体像は、マッカーサー元帥に「あなたの子供を産ませてください」と手紙を贈った日本人女性たちの肖像である。あるときから私は、彼女たちをそのような存在としてもまなざすようになった。そして同時に、彼女たちは自分自身のうつしみにも見える。年齢を重ね、あれらの彫刻と自分の肉体を重ねることがたやすくなったためだ。さらにこのようにも考える。もしもこの国最初の彫刻家が女たちであったなら、これほどまで無造作に、裸の女が街頭に掲げられただろうかと。「平和」や「希望」や「友情」などの名で公共空間にちりばめられた女の裸像は、戦時は国民教化と戦意昂揚のディスプレイとして用いられたことへの反省なく、宣伝装置という性格を継承した《平和の群像》に起点がある。しかしその出自は顧みられることはなく、忘れられたまま量産され現在に至る。そのほとんどすべてが男の彫刻家たちの手によってつくられている。ここにおいて、女の裸はただ利用されているにすぎないのではないか。

 加藤典洋は米国による日本占領を「無理やりではなかった」と言う。占領とは「強姦」ではなかったのだ、「合意のうえでの姦通」だったのだと加藤が言うとき、あるいは丸山眞男が「アジア諸国のうちで日本はナショナリズムの処女性をすでに失った唯一の国である」と言うとき、この国の近代の姿が「女」にたとえられるのはなぜか。答えはいくつも用意できるだろう。私にもその用意がある。それはこのような言葉だ。

 彫刻を見よ。街頭に掲げられた裸の女たちを見よ。あれらの彫刻こそ、この国の勤勉な彫刻家たちが、無意識のうちに彫刻したこの国の近代の姿だ(★2)

 

 

 最後に本書の概要と次刊の予告を記しておく。

 本書では、「空白の時代、戦時の彫刻」と「この国の彫刻のはじまりへ」という二つの特集を組んでいる。 「空白の時代、戦時の彫刻」では、戦時の彫刻の動向に光を当てる。これまで「空白の時代」と呼ばれる時期の彫刻は「銅像」という呼称で彫刻史から切り離されてきたように思える。しかしこの国において彫刻家が必要とされた理由に立ち返れば、銅像と彫刻が切り離せるわけはない。本特集では、この国が孤立主義と軍国主義に落ちこんでいった時代と併走し、国家権力の流れを映し出した「彫刻」について、迫内祐司氏、椎名則明氏、千葉慶氏、平瀬礼太氏に書き下ろしていただいた。

 第2特集は「この国の彫刻のはじまりへ」である。ここでは、仏像、置物、人形、盆栽、彫りもの、石造美術などについては検討しない。本特集における「はじまり」とは、日本の近代化に伴って設置された彫刻家育成機関のはじまりであるとともに、スカルプチャーの訳語としての「彫刻」のはじまりだ。それはまた、東京美術学校彫刻科を中心とした「圏」と、敗戦後に誕生した街頭の女性裸体像のはじまりへとつながっていく。ここでは、金子一夫氏、髙橋幸次氏、田中修二氏に書き下ろしていただいた論考と拙稿を収録している。

 本書では二つの特集のほかに、鼎談と彫刻家へのインタビュー、そして詩を収録している。2017年3月、金井直氏、白川昌生氏と、共著『彫刻の問題』を上梓した。この書籍は、爆心地・長崎から彫刻を問う論集であり、同名の展覧会の図録でもある。その刊行記念として開催されたトークイベントを、今回鼎談として収録した。『彫刻の問題』には収まりきらなかった論点について議論し、また2017年4月に群馬県立近代美術館で起こった白川氏の作品撤去にもふれている。

 インタビューを行った青木野枝氏と小谷元彦氏は、ともに第一線で活躍する彫刻家であり、私の彫刻の師でもある。お二人には、多摩美術大学彫刻学科の学生が彫刻教育の改善を求めるアクションを起こしたことをふまえ、彫刻教育のこれまでとこれからについて、そしてご自身の彫刻観についてお話を伺った。

 そして山田亮太氏には詩を書き下ろしていただいた。詩の収録を決めたのは、2つの特集を通して、副次的に、彫刻と詩の密接な関わりが浮かび上がったことによる。山田氏の詩は、本書全体を通観する視座を有しつつ、森友学園問題をはじめとする昨今の情況をも読み取れるものとなっている。私にとって大きな驚きだったのは、氏の詩が冒頭でふれた「われわれとは誰か」という問いの本質に迫るものともなっていたことだ。

 

 さて、次刊『彫刻2』の刊行は、2019年夏の予定だ。『彫刻2』では、イタリアの彫刻家、アルトゥーロ・マルティーニ(1889-1947)の「彫刻、死語」と、アメリカの美術批評家、クレメント・グリーンバーグ(1909-1994)の「新しい彫刻」という、2つのテクストを特集し、それぞれ全文を訳出して掲載する(★3)。「彫刻、死語」が発表されたのは1945年、「新しい彫刻」が発表されたのは1949年である。第2次世界大戦終結後に発表され、反対の言葉を冠された彫刻論を取り上げることで、彫刻という概念の特質と限界に迫ろうという内容だ。お付き合いいただければ幸いである。

 

 

★1 彫刻という訳語の不完全については、『彫刻の問題』(トポフィル、2017年)収録の拙

   論「この国の彫刻のために」を参照されたい。

★2 よく知られているように、この国は「12歳の少年」にもたとえられてきた。裸婦彫刻と同

   じくこのたとえも彫刻されてきたと私は考えるが、それはまた別の機会に書くことにする。

★3 『彫刻2』では、一九四九年にPartisan Review 誌に発表された“The New Sculpture” を

   訳出する。C. グリーンバーグ著、藤枝晃雄編訳『グリーンバーグ批評選集』(勁草書房、

   2005年)収録の「新しい彫刻」とは異なる内容であり、初邦訳となる。

 

 

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